経歴

1956年(昭和31年)11月3日、新潟県新潟市医学町で誕生。不動産会社経営の父・和多呂(わたろ)、小学校教員の母・ヤエの間の一人子。本名:大場佳文(おおばよしふみ)。名前の由来は、11月3日「文化の日」の佳き日に生まれたことから佳文と名付けられた。父は負傷帰還兵として九死に一生を得て、地元新潟で小学校教師をしていた母と結婚し、まさに奇跡の出逢いで生かされている。信条は「真善美」、亡父の「和」をモットーとしている。

8歳(小学2年)の時、新潟地震で被災。信濃川に架かる昭和大橋の真横の市立白山小学校の校庭で昼休み遊んでいた時M7.5の大地震が発生。昭和大橋の橋桁が崩壊、プールが欠壊し、滑り台の上に取り残され、九死に一生を得た。その後数ヶ月間、電気・ガス・水道の無い生活を経験し、地震の恐ろしさと辛さは今も忘れられない。

10歳(小学4年)の時、ビートルズ体験。母の実家で夕食後、窓ガラスがバリバリ音を立て、地震かと思ったら、ビートルズの来日公演のテレビ放送の音で、まさに感電状態になった。

11歳(小学5年)で、『ぼくきょうだいがほしい』という文集を母と出版し、国会図書館はじめ各地の小学校に寄贈し、地元新聞「新潟日報」に掲載される。兄弟がいない寂しさを作文で表現し、古着や古本、おもちゃを届けるボランティア活動を行う。

12歳(小学6年)の時、地元の少年少女合唱団に所属し、ボーイソプラノで、ウイーン少年合唱団来日時に共演する。当時「鍵っ子」で、帰宅すると、ヨハンシュトラウスの♪『美しく青きドナウ』などのレコードをかけて、みかん箱に立ち指揮棒を振り、一人でコーラスをつけて悦に入っていた。

中学生時代、クラシックギターを始め、バッハの♪『ガボット』、モーツアルト♪『魔笛』などを好んで弾く一方、ビートルズや日本のグループサウンズのレコードを聞いていた。

高校生時代、ラジオの深夜放送で聞く洋楽ヒットチャートのレコードを収集し、アメリカのヒッピー音楽、ウエストコーストサウンドにのめり込み、CSN風のグループ「OUR HOUSE (アワーハウス)」を結成。地元BSNラジオ「とびだせスワロー」に出演し、自作曲♪『何かをしなければ』がリクエスト1位に。

=== 「トロワ」時代 ===

慶應三田キャンパスの大銀杏の下で

1975年、慶應義塾大学文学部フランス文学科に入学し、竹内まりや、杉真理等が在籍した音楽サークル「リアル・マッコイズ」に所属。同サークルを通じ、「ザ・ビーチ・ボーイズ」「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング」風のウェストコースト・ミュージックを志す男性コーラスグループ「TROIS(トロワ)」を結成。メンバーは大場佳文(縄文土)、白石嘉彦、竹市克己の3人で、文土はギター、ピアノと作詞作曲、ボーカルを担当。

1976年、横浜市関内の音楽事務所「ファーストベース」(元・寺内タケシとブルージーンズの山本進一社長)に所属し、各地のライブハウスや銀座「灯」(ともしび)などの歌声喫茶で下積みを送りながら、 オリジナル曲のレコーディングを開始。

1977年、「ポプコン東京大会」(ヤマハ主催)、ビクターレコードのコンテストに出場し、自作曲♪『夕暮れの街』が受賞グランプリを受賞。「コンテスト荒らし」と言われていた。

東京・高田馬場BIGBOXでビクターのコンテスト出場の「トロワ」

RCAレコードの竹内まりやの担当プロデューサー宮田茂樹氏に見出され、元エイプリフール(「はっぴいえんど」の前身)の小坂忠プロデュースにより、当時、英国で話題の実話をもとにした小説と同名テレビ番組の主題歌♪『私は13歳〜なぜママになってはいけないの』でデビュー。元「ザ・フィンガーズ」の高橋信之が編曲し、レコーディングは、新宿・曙橋にあった小坂忠の「トラスタジオ」で行われ、ドラム高橋幸宏、ギター鈴木茂等、ピアノ羽田健太郎、パーカション村上ポンタらが参加した。「ブレッド&バター」の茅ヶ崎のカフェでテレビ東京の番組に出演。

1978年、「後楽園音楽祭」(日本コロムビア主催)で自作曲♪『緑の丘』がグランプリを受賞し、”第二の「ガロ」”と評判になり、日本コロムビアに移籍。「ガロ」のディレクターのもと、大ヒット曲♪『学生街の喫茶店』の名コンビ、詞/山上路夫、曲/すぎやまこういちのペンによる、♪『美しきひと夏』で本格デビューを飾った。Aメロは19世紀ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームスの♪『交響曲第3番 第3楽章(in F major,Op.90)』の有名なメロディをモチーフにし、甘く切ない青春のひと夏の恋を描いている。レコーディングには、ギター徳竹弘文、パーカッション斉藤ノブらが参加し、東京・赤坂の日本コロムビアレコード本社内スタジオでレコーディングが行われた。

22歳(大学4年)の時、内定が決まっていた自動車メーカーの研修当日にレコーディングが重なり、音楽の道を選び留年。

1979年3月、「ガロ」の♪『学生街の喫茶店』ライクな卒業讃歌♪『ブレンドコーヒー』と♪『BYE BYE LOVE』をA面/B面カップリングしたシングルを発売。TBSテレビ系列夕方の番組「ぎんざNOW!」に出演し歌っていた。

1979年、アルバム制作を開始する一方、NHK「空の音楽祭」で自作曲♪『風に乗ったあの日から』が受賞し、人気兄弟デュオ「狩人」が歌唱する。舟木一夫のライブツアー、レコーディングでコーラス、伴奏を担当。「ロッテリア」「三本コーヒー」「三菱電機カラーテレビ」「クノール食品カップスープ」等のCMソングのコーラスで起用された。

1980年3月、慶應義塾大学卒業。フランス文学科の同級生には、文学教授でコメンテーターの荻野アンナ、フジテレビ社長遠藤龍之介等がいる。

=== ビッグバン(BIG BANG )時代 ===

1980年夏、「トライアングル・プロダクション」(東京都港区青山、藤田浩一社長)に移籍。「レイジー」のキーボード井上俊次(現・ランティス社長)と「ビッグバン(BIG BANG)」を結成。

1981年7月、クインシー・ジョーンズの名曲♪『愛のコリーダ』の日本語版を西城秀樹の♪『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』のコンビあまがいりゅうじと元「SHOGUN」の大谷和夫の訳詞、アレンジによりレコーディング。B面はエリック・カルメンの『I NEED YOU』(川崎麻世も日本語版カバー)をカップリングしRCAレコードから発売された。大阪のABC系列バラエティ番組「ヤングおー!おー!」公開録画に出演。プロダクションでは、人気バンド「レイジー」の他、角松敏生、杉山清貴、菊池桃子らが一緒だった。

=== 解散〜就職〜独立起業 ===

1981年9月、「ビッグバン」のメンバー脱退から、音楽活動を継続を断念し、航空会社に就職。その後、コンピュータメーカーで会社員生活を20年送った。メーカーの宣伝部では、フランク・シナトラ、シカゴ等の内外アーティストの招聘、CMソングの担当をし音楽には関わっていたが、自身の音楽活動からは遠ざかっていた。

2002年に不動産業を経営していた父を亡くし、その志を継ぎ不動産の世界に転身。全国展開の建設会社で、毎日50件ノルマで都心・近郊の地主を回り、建築提案の飛び込み営業を経験。

2005年に不動産有効活用、都市再開発のコンサルティング企業、株式会社レサンサジェス(フランス語でLes Cinq Sagesses 「五つの知恵」)と合資会社ドゥザドゥ(フランス語でDeux A Deux「二人三脚」)を東京都港区で開業。

2011年3月、東日本大震災直後にボランティア活動に入った後、渡米し、米国ネット小売ベンチャーで急成長のザッポス(Zappos.com)社CEOトニー・シェイとの対談を通し、国際的な人材・文化・知的資産交流の必要性を痛感し、ジョン万次郎のように日米の国境を越えた草の根交流をし続けていきたいと思い、幸福を届ける“Delivering Happiness”をコンセプトにDeliver WOW LLC.(デリバーワウ合同会社)をネバダ州ラスベガスに設立。

2011年12月、ザッポス社トニー社長がアイビーリーグのハーバード大出身者で、大学を超えて繋がる日本版アイビーリーグが必要と考え、東京六大学の経営者、OB、学生を繋ぐ「六大学メンバーシップ機構=ASUMO(All Six Universities Membership Organization)」を立ち上げた。ビジネスやスポーツだけでなく文化で国境を越えた草の根活動を展開する目的で、地球規模の諸問題の解決に向け具体的な活動を行う「行動するシンクタンク」を目指している。

=== ロンドン五輪〜サクラガールズ===

2012年4月、コーチングを受け、25年振りに音楽活動を再開。ロンドン五輪(2012年)応援ソング♪『君とロンドン/YOU & I LONDON』を作曲し、ロックグループ「センチメンタル・シティ・ロマンス」のベース瀬川信二とバンドアレンジをし、レコーディング。シンガーには日本文化を発信するプロジェクトとして相応しい、日本舞踊や琴、書道、茶道等の素養を有する女性を募集し、「ハロー!プロジェクト」出身の長澤若菜(オフィス斬所属)、吉永彩華(JMO所属)、鈴木麻比(同)の3人が選ばれた。桜の花の思いを日本から世界に届けるという意味で「サクラガールズ/SAKURA GIRLS」のユニット名が命名された。

一般社団法人日本文化海外普及協会「COOL JAPAN」の世界的な書道家小林芙蓉先生から「サクラガールズ」のユニット名を漢字で「桜少女」と書いて頂いた縁から、♪『君とロンドン』が日本文化発信の曲としてロンドン五輪「ジャパン・フェスティバル」の7月24日の前夜祭テープカットソングに採用され、東京、ロサンゼルス、ロンドンの3大都市でプロモーション展開。

2012年6月27日、東京・秋葉原のライブハウス「シックスティーン」で「サクラガールズ・デビュー・ライブ」を敢行。日本茶メーカーのスポンサードを得て、山中湖のイングリッシュガーデン、群馬県太田市のフットサルグランドでブラジル系の子供達40人と一緒にPV撮影。3人が主人公の漫画『桜少女』も同時に制作され、シルクロードの終点日本から平和のシンボル桜をメッセージするコンセプト映像『文化の花道』(作:縄文土)をバックに、「ざまあみろ。アニメは元気だ! アニソン・クレイジー・パワー・ナイト」の柿崎俊道のMCとDJにより大喝采のデビューライブとなった。

翌朝の飛行機でロサンゼルスに移動し、米国ニッケイグローバル社(本社:ロサンゼルス、代表:皆見友紀子)のコーディネイトにより、「SAKURA GIRLS」の海外デビューイベントがロサンゼルス市リトルトーキョーにある「2nd Street Jazz」で開催され、西海岸のブログで話題になり、センセーショナルな海外デビューを飾った。

2012年6月29日から7月2日、ロサンゼルス・コンベンション・センターで開催された「アニメ・エキスポ2012 LA」において、全米800万人が視聴する公開放送番組「クランチロール」に「SAKURA GIRLS」が出演。和服を洋風にアレンジしたコスプレルックが人気を集め、カメラの放列を浴びた。地元FMラジオ番組にも生出演し、日本人の多いガーデナ市のロナルド・イケジリ副市長から市庁舎で親善表彰の賞状が授与された。

訪米中の7月1日、風力発電地帯として世界的に有名なカリフォルニア州パームスプリングスでプロデューサー・モンドの映像が撮影された。その撮影中、モンドの代表曲となる『風のワルツ/The Wind Waltz』が台風並みの激しい熱風の中、自然讃歌として生まれた。

「SAKURA GIRLS」は、帰国後、日本テレビ「汐留博」等に出演し、ファンを増やしていった。また、海外でも日系人少女ユニットとして、「SAKURA GIRLS USA/FRANCE/CHINA・・・」などが企画された。

=== モンドミュージック創設〜ジェニオ誕生 ===

2012年11月、東京・吉祥寺の路上で演奏していたミュージシャンとの出会いから、5人組のバンド「レモンド/Les Mondes」(フランス語で「地球人」の意味)、メンバーは乾英明:Gt.Vo. 松野恭平:Gt.Vo. 小谷明:Ba. 石井千智:Kb. 岡部マサヒロ:Dr.と縄文土:Gt.Vo.)を結成。路上で頑張る大道芸人、画家、ダンサー、漫画家等とコラボし総合芸術集団として、音楽とアートの融合を目指す活動を開始した。

2012年12月8日、ジョンレノンの命日、東京・日本武道館で開催された「ジョンレノン・スーパーライブ」のステージでのオノヨーコの「DREAM POWER、夢を持とう!」の言葉に、「ジョンレノンの思いを後世に継承するミッションを感じ、対立や争いの無い世界の為に音楽で世界を変えて行く」決意を固める。そして、国境やジャンルを超えた「世界音楽」を旗印とするフランス語で世界(Monde)の音楽(Musique)を目指す意味の「MONDE MUSIQUE(モンドミュージック)合同会社」を設立。ジョンレノンへの思いと、自身の25年の様々な思いを込めた曲作りと、「レモンド」のデビューアルバムのレコーディングを開始し、デビュー曲♪『風のワルツ』のイメージ映像を、東京・井の頭公園とバレエスタジオで撮影。

2013年1月、♪『The Wind Waltz』の海外展開を考え、慶應義塾大学先輩にあたるロサンゼルス在住の音楽プロデューサー喜多嶋修(元・加山雄三とザ・ランチャーズ)のスタジオEast Quest Recordsで海外版レコーディングがスタート。カーペンターズ、リンダ・ロンシュタットのセッションにも参加したミュージシャン、エンジ二アが参加。喜多嶋修は雅楽のサウンドを光や色と共に伝える「ミュージック・カラー」に取り組んでおり、ウエストコース風+雅楽風の味付けが施されたサウンドに仕上がっていった。

このプロジェクトのため、2014年1月、米国在住の日系二世の女性3人による「SAKURA GIRLS USA」が結成された。メンバーは、
MAKO WILLIAMS(ウイリアムス真瑚、小学6年生、フィギュア・スケート選手、2012年全米ジュニアフィギュスケートチャンピオン)
ROXIE SAKURA(ロクシーサクラ、女性起業家、スピリチュアリスト)
KIRINA AWAMOTO(キリナアワモト、千葉県出身Texas Christian University学生)
で、全員ボーカルをとり、絶妙なコーラスワークで、プロデューサー・モンドの代表曲で、自然との共生がテーマの♪『The Wind Waltz』や、2016年、2020年開催の五輪に向けた応援ソング♪『The World Samba』などをロサンゼルスの喜多嶋修のスタジオでレコーディング。

映像は、ロサンゼルス近郊バーバンクのアイススケート場を借りきってメンバーのMako Williams自身の滑りでイメージ映像が撮影された。さらに、グランド・キャニオンやベンチュラ・ビーチから、タイ王国・アユタヤ遺跡、パッタヤービーチに飛び、雄大で悠久の美しく且つ過酷でもある悠久の山と海をバックにした自然と人の共生を願う『RE:MONDE(地球再生)』と題したメッセージ映像を制作。グランド・キャニオンでは、実際に3000mの絶壁の岩の上でモンドがギターを弾く映像が撮影された。

〜・〜

2013年2月14日、ロサンゼルスで開催の「第56回グラミー賞」公式イベントに、完成したばかりの映像『RE:MONDE(地球再生)』を出品し、「日本文化をアメリカから日本に、世界に発信する」コンセプトの「SAKURA project JAPAN」のプレス発表を行う。その後ロング・ビーチで開催の「ビューティショー」会場でもプロモーションを行った。

2013年3月、イタリア・ヴェローナ、ミラノ、ローマ、ヴァチカンと撮影は続き、フランス・マルセイユで3月1日〜5日開催の「ジャパン・エキスポ・シュッド」会場内において、日仏文化交流として「SAKURA project JAPAN」のプロモーションを行い、市内各所で撮影を行うとともに、市内レコーディング・スタジオでモンドのテーマである『地球の詩』が録音された。

2013年3月11日〜14日、東日本大震災の復興支援チャリティー・ミュージカルとして、ウィリアム・シェイクスピア原作の『ロミオとジュリエット』の続編創作ミュージカル『ロミオとジュリエットその後/After Romeo & Juliet』を岩手県陸前高田、東京、大阪の3ケ所で公演(主演:川崎麻世、紫とも、朗読:杉浦幸、原作:ジャンモンド、企画:六大学メンバーシップ機構、主催:SAKURA PROJECT JAPAN、制作:モンドミュージック、後援:Nikkei Global)。オリジナル・サウンド・トラックとしてモンド作の楽曲『風のワルツ』『星のバロック』『ロミオとジュリエットその後』などが収録された(歌:レモンド)。陸前高田「伝承館」での公演後、チャリティとして桜の植樹式が会場横の海を見下ろす丘の斜面で行われ、地元で生育した桜の苗木が「伝承館」館長と出演者全員及びロサンゼルスから来日中のNikkei Global代表そしてモンドの手により植えられた。

2013年4月12日、ロサンゼルスで開催の「MTVミュージック・ビデオ・アワード」公式イベントに出展。各地でのロケ映像を収録したDVD『RE:MONDE』の完成版を出品。多くの映画スターや監督、地元紙の記者が視聴し、喝采を浴び、「SAKURA PROJECT JAPAN」についてインタビューを受け、以下の記事コメントが各紙記者により報道された。

【Los Angels Free Press】
A Japanese producer MONDO knows how to tug at a listner’s heartstrings. He knows how to wring the emotion out of the briefest melody.
(日本のプロデューサー・モンドは、どのように聴取者の心の琴線を強く引くか、どのように最も短いメロディーで感情を絞るかを知っている)

【LA’s THE Place (Online Magazine)】
MONDO delivers a modern romance addressing relatable relationship obstacles.
(モンドは東洋と西洋の関係を融合調和する現代のロマンスの使者だ)

【Los Angels Daily News】
One japanese genius artist MONDO is starting campaign of connection the world. The cherryblossoms remained in the area of east Japan will be the key of global resolution. This is one music revolution for help the earth !
(一人の日本人天才モンドによる音楽を超えた世界を繋ぐ運動が始まった。大震災の被災地、東北の海岸に咲き残った桜がグローバルな問題解決の今鍵になるだろう。これは世界を救う一種の音楽による革命だ)

2013年8月、2020年オリンピックの東京誘致実現と夢に挑戦するアスリートに向けた応援ソング『美しき人』『ラブイズオール』の2曲を制作。東京・駒沢オリンピック公園で『ラブイズオール』のミュージック映像がオリンピック応援ソングとして撮影され、動画公開された。

2013年9月7日、ブエノスアイレス(アルゼンチン)で行われた第125次IOC総会で、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)を抑えて、東京が前回の1964年東京オリンピック以来56年ぶり2回目となる2020年の第32回夏季オリンピック開催都市に決定し、その報告会が東京都庁で開催され、モンドも参加。新聞記者に「2012年ロンドンオリンピックに続き、日本を世界に紹介し、スポーツや様々な分野で挑戦する人を音楽で応援する活動をしていきたい」と語った。

2014年2月、新東京都知事誕生と共に、2020年に向け東京を世界に紹介する『東京わっしょい!』、日本の美しさ、麗しさを発信する歌『ハローニッポン!』の2曲を制作。東京・浅草寺、上野、皇居前、丸の内など歴史と現代を象徴するスポットでプロモーション映像が撮影された。

〜・〜

2014年3月25日、小児癌や難病、教育格差にある世界の子供達に笑顔を送り、母親と家庭を支援する「マザーラブ・プロジェクト」のライブコンサートが東京・恵比寿で開催され、イタリアからカルテットとオペラ歌手を招聘し、モンド作の同プロジェクトの主題歌『マザーラブ』などが初披露された。ゲストの在日イタリア商工会議所(ICCJ)Davide Fantoni代表が祝辞を述べ、インタビューで「イタリアと日本はシルクロードで繋がっていた歴史があり、ロミオとジュリエットの愛の発祥地で、音楽を通し親善を深めていきたい」と語った。

2014年4月、人と人の関係を大切にするコンセプトの人間関係創造プロジェクト「ジャン・マーケティング/Gens Marketing」の音楽分野として、レコード・レーベル「ジャン・レコード/Gens Record」が発足した。

2014年5月、前年公演のミュージカル『ロミオとジュリエットその後』の次回作品の主題歌および、2020年オリンピックの応援ソングを歌う男女2人組の本格派ツインボーカル・ユニットがオーディションで募集され、「Genio(ジェニオ)」(イタリア語でGenio=才能・天才)の二人、「志野(シノ・Shino)」と「神音(ジェオン・Geon)」に決定し、テーマ曲『シンプル・ライフ』などのレコーディングがスタートした。

2014年6月、ブラジルで開催のW杯サッカー応援ソング♪『胸いっぱいの愛を』を作曲し、「ジェニオ」によりレコーディングされた。夢に挑戦する人を応援し、世界を「愛と平和」の輪で結ぶ『ゴーリング/Go Ring』プロジェクトのテーマソング。「世界が一つの輪になり繋がろう!」というメッセージで、2016年のリオデジャネイロ五輪に向け発表された。

2014年10月9日、ジョンレノン、そしてショーンレノンの誕生日、対立や争いの無い「愛と平和」に満ちた世界を目指し、日本発グローバル・コンテンツとして「愛と平和」をテーマにしたミュージカル『ジョンとヨーコの物語』と、「和魂洋才」をテーマにした和歌と音楽、芝居を融合したミュージカル『源氏物語』用の楽曲のレコーディングが開始された。

2014年11月3日、原宿「もみのきハウス」で、プロデューサー・モンドのバースデイ・イベントが開かれ、ミュージカル『ジョンとヨーコの物語』の制作発表がなされた。主題歌♪『ジョンとヨーコの物語』♪『ラブラブラブ』♪『ハッピー・トゥゲザー』の3曲が生バンドをバックに「ジェニオ」の歌で初披露された。モンドもギターで参加し、モンドの母ヤエもタンバリンで参加。アットホームな雰囲気の中でミュージカルの制作がスタートした。

2014年11月22日、小説『ジョンとヨーコの物語』の出版企画のもと、長野県・軽井沢にジョンレノンが1975年から1979年まで毎年夏家族で滞在した「万平ホテル」や、カフェ「離山房」、パン屋「フランスベーカリー」などを訪ね、関係者に取材。ミュージカル、映画化に向けた企画と執筆が始まった。

2014年12月、ロサンゼルスのEast Quest Studioで「ジェニオ」のデビューアルバムのミックスダウンが、「ビーチボーイズ」等を手がけたアレンジャーの巨匠バン・ダイク・パークスの音楽監修により開始され、完成したCDを、12月8日ジョンレノンの命日、ニューヨーク・セントラルパークでの追悼集会に参加時、ジョンレノンが凶弾に倒れた自宅ダコタハウス前で、事務所からイエローキャブで帰宅したオノヨーコさんにモンドのメッセージと共に手渡す。

〜・〜

2015年3月31日、卒業・入学シーズン向けに『卒業〜想い出のフォトグラフ』をiTunes配信により作者モンド自身の歌で発表。プロデューサー、モンドのソロデビュー曲となるこの歌は、作者モンド自身の体験談で書かれた。人生50年を過ぎ、前日まで元気だった友人が心不全で急死した学生時代の友人のこと、卒業式を最後に別れたままの仲間や恋人のことを思い、この季節になると染み染み懐かしくなり涙が出た。そんな思いがメロディとなった。「人生はカブトムシ、七転び八起き・・・」とビートルズで育ち、勇気付けられた人生を比喩した歌詞で、「Graduation Day、あの日別れた友・・・」のコーラスには、女性ゴスペルチームの「ディア・デスティニー/Dear Destiny」のメンバーが参加し、圧倒的な声量で盛り上げている。

「ビートルズ」解散宣言から45年目の2015年4月28日、ポールマッカートニーの来日公演を見て、あの頃の息吹を今の時代にまた吹かせたいと、セカンドシングル♪『永遠のビートルズ』をモンド自身の歌でリリース。『ヘイジュード』を思わせる「ビートルズ」サウンドの香りが漂う構成で、1960年代を感じさせてくれる。

〜・〜

2018年 小説「ジョンとコーコの物話」原作の舞台映像撮影で、軽井沢、京都、インド、ロンドン、リバプール、パリ、アルステルダム、NY、LA をロケ。縄文土の音学・プロデュースで、12月に表参道・能楽堂にてオノヨーコ従兄弟の加瀬英明監修「ダディとマザーの軽井沢物語」を公演。

〜・〜

2020年2月から9月にかけ、新型コロナウイルスの世界での蔓延に対する人道支援活動で、南アフリカ、ドバイに滞在。南アフリカではアパルトヘイト(人種隔離政策)の面影の残るケープタウン、キンバリー、ヨハネスブルクに入り地元の日本人弁護士とマスクの調達活動にあたる中、格差の実態を目の当たりにし楽曲制作を行う。ドバイに入国後ロックダウンに遭い、長期滞在を余儀される中、地元商社と、日本、アメリカヨーロッパとの三国間貿易に取り組む。そんな中、8月4日中東のレバノンで大規模爆発事故があり知人の友人が犠牲になる悲報に接し、鎮魂と平和を祈る曲♪『We’re Eanthians』♪『Peace On The Land』を現地で作詞作曲。レバノン関係のスタジオでデモ・レコーディング。帰国後、中野サンプラザのスタジオでメゾソプラノ・谷本綾香で英語版、ジェニオで日本語版を収録した。

〜・〜

2021年 東京五輪応援ソング♪Go Rings、♪Take New wayを制作

〜・〜

2022年 ウクライナ紛争問題に対する平和希求ソング♪Jon Lennon In My Mindをジョンレノンが今の時代にいたらどう行動するかという思いで制作。
パリ五輪応援ソング♪Our World、♪Freedomをウクライナの隣国ハンガリーのバイオリン、チェロ奏者の弦楽四重奏カルテット伴奏で制作

〜・〜

2023年 元はっぴいえんどのギター鈴木茂、元SUGAR BABEのドラム上原”ユカリ”裕、SHOGUNのベース長岡”ミッチー”道夫を迎え、♪1969 Wonderful Days、♪70’s Back To Me、♪Easierなど「1960-70年代サウンド復刻シリーズ」アルバムを制作